2019年5月






5月5日

迫田監督の話つづき。


ところが広商を出てよその高校の監督になった方が、優勝したら胴上げしよった。
だから広商野球ゆうのを分かってないんですよ。広商野球いうのは強いんじゃと思っとるんですね。
そうじゃないんです。そこらのところが大事でないといけんのんですよ。
それがずっと代々続いていかにゃいけんのです。今は勝たにゃいけんになっとるけぇダメです。

それで柳田が広商野球の象徴みたいになっとるんですね。
それはすごい選手ですよ。それで「第二の柳田を」ゆうてもそうそうはいかんですよ。
プロの中でも三本指に入るようなのがそう出る訳はないですよ。
そういう広商野球を全国を見回しても、広商野球というのはこういうようなんでというのを、
分かっていてくれる人は少ないんじゃないですかね。

今の世間一般が大阪桐蔭大阪桐蔭になっとるけぇ難しくなるけど、
これをずっとやりよったら人気がなくなりますよね。
高校野球がそういう野球やったら、それはプロ野球を観ますよ。
今や広商OB が広島野球ゆうたって、分からない人が9割じゃないですかね。1
割おるかねー。結局はね、勝負事だからマナーが良いだけでもいけんのんですよ。
勝たにゃいけんのんですよ。勝った上でマナーが良くないといけんのんですよ。
それがどうしても勝つことの方が主になって、これは難しいですね。
でも話をしても分かってもらえる人は少ないと思いますね、広商野球のそういうことが。
今はだから、これが大事なんじゃということがなくなってきてますね。これは大事ですよね日本人として。

──前に監督さんが「大阪桐蔭に小差で勝って、
これが高校野球だと示したい」というお話がありましたが、
それを実現するまでは高校野球を終われないですよね。

25年かかったというのは色んなあれで、今やっとる少年野球にも分かってもらえて、
中学校の(部活)野球で選手が入ってきてもなかなか難しいですね。
教える人が今いなくなってね。だからこれはほとんどもう中学での野球はなくなりますよ。
もう少年野球で町でやっとる野球。サッカーでもそうなりますよね。
そういう形が先生方がそこらまでは、だから面倒見んゆうたらおかしいけど、
勉強のことは言うけどクラブのことまで時間取れんいう感じですよね。

昔は勉強しながら文武両道でそういうことをしよったというのが、
日本の良いところ、強いところ、それらがノーベル賞を出しよったんじゃないかと思うんですがね。
それが段々段々なくなって、勉強するんだったらスポーツやめて塾行って勉強せぇみたいなね。
頭の悪い奴を塾に行かしてね。大したことはないんじゃけど。
そういうふうなことが主になりよるから、段々段々軟弱な男の子を作るような感じになってきますよね。

私らにとっては今までが1番良かったですよ。やったことがパッと結果が出て、
選手で優勝できて、監督で優勝できて、まして木のバットであるし、
私らはだから最高の野球人生を送らせてもらっとるんですね。
それが金属バットになって、頭を使わずに力を使えというような野球になってる感じが、
ちょっとおかしいんじゃないかという気がしますね。
高校生ですから、選手を選んでどうこうするんじゃないですからね、本当は。
与えられた中でやるゆうのが高校野球のいいところで、それが段々段々見つけてきて、
それを育てるんじゃなしに本人らに好きにやらせる。

今の大阪桐蔭がええゆうのは、それだけの素材を持っとるのが、プロに入ったOB が来て
「お前の姿勢じゃプロでは通用せんよ」と言うんですよ。それを聞いてやるんです。
じゃけぇ普通の奴のほうが練習せんのんです。そういうあれを持っとるやつのほうが
目標が高いですから。だからやっぱり個人競技のほうが強くなるんですね。
自分のためにも一生懸命、卓球なんか泣きながらやりよりますから。
それが団体競技ゆうたら今のあれは、自分が良ければええんじゃゆうようなんがすごい多いんですよ。







5月12日

3月31日に如水館取材。迫田監督退任の日。

15時ごろ到着。
広高校との練習試合が終わってしばらくしたところだった。
テレビ局のカメラが来ている。監督室でテレビ局が取材している。

(監督さんが電話。相手は教え子の金光さん。法政大学野球部の監督に復帰した報せだった)

金光からです。今度監督になったもんでね。「代行ですから」ということなんですけどね。
結局、今までその変わったというのも、選手が「厳しすぎる」というあれなんです。
厳しいというのが練習じゃないんですよ。
他の規律をきちっとしなさいとか、そういうようなことに対して、金光は真面目ですからね。
私は金光のように真面目にはできんですからね。
それぐらい真面目なんですよ、ずっと高校の時から。
そうして選手に「こうせにゃダメなんじゃ」と。「就職しても仕事ができんじゃろう」とかね。
「こういう形にせぇ」とか選手はもう大学生いうたらそんなんですね。

金光はオールジャパンの監督になって2年かな。
やってあれして、やっぱり日本のトップ、大学なら大学のトップでやってくれるというのは
すごい嬉しいことですね。なんかすごいいい話だなと思うんで、昨日ちょっとメールしとったんです。


私の後輩が入学?のあれの時に、忘れたらいかんゆうて人を集めて話をして、
8月6日だったかな、私行かれんよゆうて。そしたら来ましてねここに。
お前が来たのにわしが行かんわけにはいかんから行くよゆうて。
それでも私が話をさせてもらって、あんまりこの会で笑いながら話したことはないですよ
と言われるぐらい。私暗いことは嫌いです。

だからそういう意味において、今日もあれして、最後に試合でキャッチがおらんのんですよ。
どうしたんかと思って、ちょっと言おうと思って、「こういうようなリードせぇよ」ゆうたら泣きよるんですよ。
そういうあれよりか、今ちゃんとできないけんのんですよゆうて。
結局そこらのあれが、今の子ゆうたらみんながなんかそういう、
もうすごいいいチームになったという気がするんですよ私。
まあなんとかあとの人が、いい具合にそいつらを育ててくれたらそれに越したことはないんで。







5月19日

迫田監督の話つづき。


(NHK記者)──選手たちはかわいい奴らという感じですか?

そうですね。どうゆうたらええですかね、技術だけじゃなしに、
結局その社会に出てから好かれるような、そういう子供になってきたという気がしますね。
それが一番大事なことで、そこらのところが、よく私選手に使うんですが、
「お前をわしが信頼しとるのに、信頼できる人が世の中に出て何人おるかわかるか」ゆうて。
本当にそのなんぼになっても、「お前を信頼しとるよ」という人がおらんときに、
わしが信頼してるのになんでお前ができんのかということをね、よく言いますけど。
そこらのところがもっとすごくいい、もっともっと癖あったと思うんですけどね。
いい顔になってますね。もうあれ以上言ったら私も目が潤むけぇ、もう終わりです。

それはもうあいつらの涙を見たらやっぱりね、あれですから。
ただ私は甲子園で父親がまだおる時に、中京の杉浦藤文さんが優勝されて、
それを見よったんですよ。藤文さんが春夏連覇してしんどかったと思うんですよ。
夏の時にインタビューにならんのんですよ。もうワンワン泣かれて。
それで見て、親父と二人でちょっと涙もらいながら、甲子園で優勝したら監督ゆうのは
泣かにゃいけんぐらいのあれなんじゃなと思いよったんですよ。

それで私センバツで準優勝してあれした時に、相手の横浜高校は初優勝で胴上げをされて、
こっちは選手が一生懸命やったのに、その選手の前で胴上げをされたら
やっぱりものすごく悔しかったですね。かわいそうでね。
それで私はちょろっとその時涙が出たんです。

じゃけど考えて私の頭の中には、杉浦藤文さんのその監督なんていうのは
優勝したら泣くのが当たり前なんじゃと思いよったら、いやいやこれは泣いちゃいけんなと。
泣かずにきちっと選手の姿勢を見て、それん中で いい活躍ができなかったから
悪い顔しとる奴とかですね。そんな奴を見てそれをちゃんと修正してやらにゃいけんのが
監督じゃないかということで。泣いちゃいけんわこれと。

それで夏に優勝してぱっと泣かずにインタビュー受けたことを、
ものすごく自分自身で良かったなという気持ちがあるんです。
だから別れの中で?泣くなと言うのは好きじゃないんですよ。
だけどこいつらはそういうふうに育ってくれたということで感謝をしとるんですよね。
いい具合にこれらが、今の金光じゃないですが、これが私が36の時にですかね、
18歳でちょうど倍ぐらいなんですよ。 そういうようなのがまた、
これの中から出てくれるんじゃないかという気がしますね。それが一番ですね。
なかなか親とかなんとかの、言うことを聞かずにぱっとやってる子が、
私のために涙をしてくれるゆうたらやっぱり嬉しいです。







5月26日

迫田監督の話つづき。


──このチームの監督で良かったなと思いますか?

そうですね、あのー、監督で良かったといううちに、これらが最後でいい形で
一応終わってくれとるということですね。結局私がいなくても本当に、ちょっとした形で甲子園狙えて、
甲子園である程度活躍してくれるんじゃないかというぐらいまで育ってきよるんで。
それはすごい期待したいと思います。ただ、私があとの人のあれによって、
手助けというか、これらのフォローができるかということはね、ちょっと心配ですね。
それをなんとかしてやりたいんですが。まあでも終わった以上、私ができないのでねそれは。

──この先どうなるか分からないですけど、私自身は、どこかで監督をまた、
この学校かもしれないしもしくは別かもしれないですが、
また監督をされている姿が目に浮かぶんですけど、やっぱりこの仕事というか、
高校野球の監督というのは、やっぱり特別なものでしょうか?

そうですね。あのー、いわゆる個性がないようで、結構今の子供は小さい頃から、
自分でどうこうすることがないもんで、だからいいものを持ちながら見てもらえない奴とかですね。
大人の人が結構、個性がある奴を好きではない世の中みたいになっとるんですよね。
ただ勉強ができんからダメとかですね。
そんな奴は特に甲子園に行ったら、通用する奴もおるんですよ。
そんな奴はなんとかこう作ってやって、甲子園という場所でですね、
また違った人生をこうあれしたり、私はだからそれを自分で体験しとるから、
「こんなところなんですよ」と説明してもそれは説明ができんような場所なんですよ。
なんとかそれを連れて行ってやって、そこで違うものを見せてやりたいという気がありますね。





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